2009年1月26日月曜日

お客様の声

とても深いセッションを体験されたお客様が、長い感想文をお寄せくださいました。


♥過去世回帰セラピー   H. I. さん

「私」が目をあけると、目の前を何台もの自動車が走り抜ける大きな道路でした。
ニューヨーク?

呆然としている私の耳に聖鈴さんの声が、『今、どこにいますか?』

どこ? どこ?……。
前世療法や過去世回帰は初めてではないのですが、こんなことはかつてなく、
動揺しながら、ここはどこかと「私」が目を凝らしてみると、
そこは、確かに雑踏なのですが、
自動車だと思ったのは、実は戦車でありもっと良く見れば、それはローマの軍隊であり……
それこそ、地球のさまざまな時間軸のさまざまなシーンがスライド写真のように連続して、または重なり合って目の前に展開していました。

『では、あなたの姿はわかりますか?』

また聖鈴さんの声がして、「私」は気づきます。
自分が誰であるか。
けれど、「私」は人という存在ではなく時間の狭間を漂うただの存在であり・・・・・・
「私とは、何か」そう考えをめぐらせたとき、
一番最初に人の形で現れたのは、白いひげを長くたらした神々しいまでの賢者(老人)で、
その次に褐色の肌の人(子供?)で・・・・・・
そのほか、これもさまざまな人の像が続き、あるいは重なり合い、溶け合い・・・・・・
「私」は私という存在だけではなく、あらゆる時間、あらゆる空間にその時々に姿を変え・・・・・・

そのとき、一人の褐色の少年(およそ現在の、ヒスパニック系の、大きな目の、少年)、
その 彼を見たとき、褐色の肌の少女を思い出し(それは「私」の双子の妹)、

目の前には、四角い床の、けれど角のない、継ぎ目のない部屋が現れ、
その天井までは三角にピラミッドの内部のようになっていて、
適度な湿気の静謐な部屋の中に私は胡坐をかいて座っており、
褐色の肌の今年24歳になる青年である「私」として存在していました。

その空間は瞑想をする場所でした。
その空間で「私」は、私だけでなく、 そこで同じように瞑想をしていた存在の 
たくさんの感情や思いや存在が 「私」の体を通過する・・・・・・
その場所は神の目に通じる部屋で、「私」の役割は、そこで神の目を観ることでした。

王に命じられ、敵国の軍備の情報を神の目を通して観ていましたが、
本来そこは、そんなことに使う場所ではなく、
神の目は、私利私欲のために使うべきではなく・・・・・・。

「けれど、戦いでどちらが勝とうが、人は変わらずそこに存るのだ」
「私」はそれに安堵していました。

最初にニューヨークのように感じたあの映像は、
「私」がアカシックレコード(?)でリーディングしていた未来のことのようでした。

『今はいつですか? そこはどこですか?』

聖鈴さんの声に、「私」は答えます。
そこは、砂漠。
ペルシャのような、メソポタミアのような、もっと昔のそのアーキタイプの場所・・・・・・

「私」は、言葉が翻訳できないときは「私」の言葉を発しようとしますが、
それが叶わないので、そのときは似た言葉を捜して説明しました。

「私」の父は絶大な権力を持つ神官である。
「私」は神の目を見ることが仕事である。

『では、あなたにとって重要な出来事の場面に飛んでみましょう。』

聖鈴さんの言葉で場所が変わります。
神殿の、前。
目の前にいるのは双子の私の妹で、「私」は妹をとても愛していました。
もし兄弟でなければ・・・・・・せめて母が違っていればと。

「私」の役割は神の目を見ることで、その職務に就くものは去勢しなければなりませんでした。
そして、それから先の一生は、神殿の中。
「私」がその職務に就くことを選んだのは、そうすれば、妹が「神官のなるのを免れる」ことができるから。
だから「私」は神殿に入ることを選びました。
その世界は神は神殿にあるものとし、王の国の私利私欲のために神の力を使い、
「私」にとっては、それはおぞましいもの以外の何ものでもありませんでした。

神はあらゆるところに存在しているのに。
神の目は戦争に使うものではないのに。
その苦悩と、妹への思慕を胸に隠しながら、私はひたすら職務を果たしていました。

『では、あなたがこの生を全うする瞬間にいってください。』

聖鈴さんの言葉に従い、「私」は臨終の瞬間にいました。
満ち足りている生涯ではありませんでした。
いくばくかの寂寥感と、少しの後悔がありました。

しかし、最愛の妹は、ひ孫までいて、幸せであったので、
「私」はそれだけで、ここに来たことを満足できました。
そして、私の周りには、信頼し、尊敬しあう、愛すべき仲間がおり、慈しんできた弟子が大勢おりました。

あの「神の目」を見る瞑想の部屋は、今後、どんどん本来の目的から離れていくでしょう。
(戦争や、王や権力者のためのものとして使われ)何世代か後には、その機能すら、どんどんと劣っていってしまうでしょう。
「私」は弟子たちに、本当の「神の目」のことをできる限り教え、
本来の目的にできるかぎり添えるよう尽力をつくしました。
また、「神は神殿にだけあるのではなく、そこここに 大気のように 自分自身の中にこそあるのだ」ということを、可能な限り(法と神殿を侵すことなく)教えてきました。

けれど、長い生涯を経て、そんなことを「私」がしなくとも、
神はいたるところに存在することを、知る者は知っています。
神の目の、本当の使い方も、知る者は知ります。
また、知らないと思っている者も、実は、本当は知っているのだと悟りました。

『現在の「あなた」に影響を及ぼすことはありますか?』

その問いに、ふと湧き上がったのは、その中で大きく湧き上がったのは、妹のことでした。
「私は子孫を残すことはできない」そう自覚していました。
そのために、血を選び、同胞を選び、親を選びました。
そして私が生まれたのです。

けれど、けれど、これは『私』が原初(はじめ)ではない。
私の前の・・・あの、女の、のろい・・・その女が、血を選び、親を選び「私」となったのだ。

『それを手放すことが、できますか?』

それに、「私」がなんと答えたのか。
朦朧としている私は、よくわかりませんでしたが、
ひたすらに隠し、固め、だからこそ凝縮した「想い」が解放され溶解することを感じました。

セクシャリティな問題は、本来第2チャクラだと思うのですが、そのとき楽になったのはベースチャクラ。ほっと和らいで、そこが今までとても硬くなっていたことを自覚しました。

そっと目を開けて、聖鈴さんの笑顔を見て、私は許された(赦した)実感がありました。
今まで何度か過去世回帰、前世療法というものを体験しましたが、
これほど深い過去を旅したことは初めてですし、
また、これほど癒される赦される自覚があったセッションも初めてでした。

過去世(前世)を体感する、だけではないセッション。本当に感謝です。

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